「意味ある人生」を求めすぎてしまう罠 好奇心を暴走させたナンセンスのすすめ【大竹稽】
大竹稽「脱力の哲学」5 〜意味のある人生って何?〜
■「意味ある人生」を求めることは《ナンセンス》
「退屈」だからと刺激を求める現代人。そして、そこに十分な意味が用意されていないと、すぐに「怒る」現代人。レジャーだろうが旅行だろうが、「退屈」を癒すことを目的とする人も多いでしょう。「好き」というよりも、「退屈」が優先されているのです。だから、十分な見返りがないこと、無意味になること、「癒された」という実感が持てないことに、怒りがこみ上げてしまうのです。
なぜ、こんなに「退屈」で「苛々する」世の中になってしまったのでしょうか。答えの一つとして「正しさ」「合理的」があるでしょう。合理的な世界は、わたしたちにそれに従うことを要求します。ですから、この世界に積極的な関与はできません。ルイス・キャロルが説明に使った「How to speak good English」が示唆してくれます。「正しい英語」ですが、この「英語」という部分は、他にも様々なテーマに置き換えることができるはずです。
「正しい仕事」「正しい手段」「正しい道」。挙句の果てに「正しい人生」。そんな「正しさ」は、誰が決めたものではなく、不特定多数の得体の知れない空気のようなものなのです。だからこそ、容易に変わることはできません。「Curiouser and curiouser!」が許されなくなっているのです。
そこで「ナンセンス」の出番です。「ナンセンス」は、そんな「正しい答え」の抑圧から脱出するための、ある意味取って置きの秘策なのです。何かにつけて「意味」があるとする世界は、とても息苦しいものです。しかし、そんな息苦しさから逃れるために、さらにまた「意味あること」をしようとするのは、まさに自縄自縛です。ナンセンスは、このような意味で充満した世界を壊してくれるのです。
好奇心が暴走しそうな時こそ、「ナンセンス」にもう一度、戻ってみましょう。ここに「意味」「目的」を掲げてしまうから、「狂気」へと墜ちてしまうのです。
さて、「どんな意味があるのか?」「どんな手段があるのか?」と先輩や上司に聞いてみるのもいいでしょう。自問してみるのもいいですね。そして、「そんなのナイ!」と答えられたら、その時こそチャンスです。
正しさによって閉じ込められていた世界から、脱出しましょう。「退屈」と「怒り」は、わたしたち自身の力で乗り越えられるものです。好奇心は、本来、「ナンセンス」なものです。意味などなくても、あなたの好奇心が原動力になります。そのとき、世界はまさに「不思議の国」になるでしょう。「意味ある人生」を求めることは《ナンセンス》なんですよ。
文:大竹稽